「国民の底力を支えているのは天皇、皇后両陛下。」    

震災後に放映された「たかじんのそこまで言って委員会」より抜粋

 

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「国を守ると言うこと、日本人の精神を守る」

 

「国際ニュースCNNは震災下でも日本人には「文化に根ざす規律」があると伝え」

「ロシアの新聞は日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする

「人間の連帯」が今も存在していると報じました。」

 

「そんな日本人の精神的支柱」

 

「国民の底力を支えているのは天皇、皇后両陛下。」

天皇陛下「被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。」

「天皇陛下はビデオを通じても被災者を案じ、国民に苦難を分かちあうことを直接呼びかけられた」

「菅政権の指導力が問題視される中で両陛下と皇族方の励ましが国民に勇気を与え 復興への心のよりどころになっている」

 

「また、読売新聞は東京電力の計画停電の際の天皇、皇后両陛下のお姿についてこう報じています」

「首都機能が集中し皇居もある東京都心は対象に含まれていないが」

「両陛下は御所を『第一グループ』とみなし毎日、計画に合わせて自主的に停電を続けられている」

 

「この間、ブレーカーを落とし証明も暖房も消える」

「一回2時間。暗い部屋で寒さをこらえ夜の場合はろうそくの灯りで夕食をとられている」

「宮内庁の羽毛田長官によると周囲が「そこまでされなくても」と体調を案じても」

 

「天皇陛下は「苦しんでいる人がおり自分の気持ちとしてそうしたい。寒さは厚着をすれば大丈夫。」と話し」

「「災害時にどう対処すればいいかを学ぶ機会でもある。」と前向きな考えも示されたという。」

「両陛下はさらに被災者支援のため宮内庁の御料牧場の生産品の卵約1000個と野菜などを避難所にに送られ」

「被災者を対象に那須御用邸の職員用の入浴施設を開放されるなど」

「災害で逆境にある人達に心を寄せ自らの行動で示されています。」

 

 

たかじん氏
「ええ・・まあそうやね、勝谷の言ってるのは
天皇陛下のお言葉をDVDにして国内全ての学校に上映せよと

 

勝谷氏

平成の玉音放送としてあちらこちらに書いてるんですけども
昭和天皇がね、御みずからの意志で行動されたのは2.26事件の時と
それから御聖断の玉音放送ですね。

 

今回もやっぱり初期対応、政府の見ていて、僕は陛下はいても立ってもおられなくなってですね
昭和天皇は2.26の時に自ら「朕自ら近衛師団を率いて鎮圧せん」と仰ったけれども
まあ・・まあ気持ち的にはねそれに近い、私がやらなければと。

 

ずいぶん僕は政治的にはかなり踏み込まれた陛下の立場からすると踏み込まれたことだと思う。
だけど、なさった。
それであの・・非常に念入りに文章に手を入れられた。

 

例えばあの・・被災者の方々
『雄々しい』ってこれ
雄々しいというのは、これ
雄々しいというのは勇敢であるとかそういう意味ですよね。

 

それはだから普通の日本人の感覚だと少し違和感感じるけれども
これは昭和天皇はですね、戦後最初の歌会始の時に、あの雪に耐える松に例えてですね
あの焼け跡の・・にいる国民を雄々しいとおっしゃってる。
こういうのを多分ふまえてるんだと思うんですけども
それぐらい念入りに練られたものです。

 

それを民放やなんかはね、つまんで流した。
それから今に至るまで、今はしょうがないですよ、何回目だからしょうがないんですけども
今に至るまでちゃんとした報道を全然していない。

 

だったら僕はやっぱりあのお言葉が僕はこれからの復興の柱だと思いますから
それをもう汚れた政治家どもはいいから、そうじゃなくて学校のね、

若者やそれから小学生達なんかに直接見せて何を感じるかと。」

 

平成の玉音放送

昭和の玉音放送

 

安倍元総理
「あの・・先ほど勝谷さんが言われたことは大変重要なことで
陛下は相当おことばについて考え抜かれたんだと思いますね。

 

陛下が感謝を表明される中において普通、陛下は特定の団体とかですね人達について固有名詞をあげられないんですが
今回は自衛隊、そして消防、警察、そして地方自治体の方々
特に自衛隊っていう名前が陛下の口から・・この発せられたと言うことはずっとなかったんだろうと思うんですね。

宮内庁や政府はなるべく距離を開こう、開こうとしていきました。

 

それとあの、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに・・まあ深く感動しているということを陛下は仰ったんですが
雄々しさ、先ほど勝谷さんが言ったようにですね、

この雄々しさというのはやはり明治天皇も、昭和天皇もですね今上陛下もここぞという時に使われるんですね。

 

明治天皇は日露戦争の時に、

「敷島の 大和心の 雄々しさは 事ある時ぞ 現れにけり」と、こう仰ったんですが。

 

昭和天皇は先ほど勝谷さんが言ったように、終戦の翌年の歌会初めで、

「降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ」と、

今、まさに雪がしんしんと降っていると、この雪の冷たさと重たさに耐えて松は雄々しく美しさを失わないと。

 

日本は占領下にあるけれども日本の素晴らしさ、美しさは失いたくないものだという思いを込められたんですね。
そういう中で今度は、このやはり未曾有の大災害の中で頑張らなければいけないという

気持一つになろうという気持において雄々しさと言う言葉をですね、

天皇陛下は発せられたんだろうなと思いますね。」

 

櫻井よしこさん
「あの・・御皇室というのはですね、

普段は国民のことを思って天皇陛下は祈ってくださってるわけですよね。

その祈ってくださっている姿というのを国民は殆ど知らないんですけれども
本当に身をきれいにして祈ってくださっている。

 

そして皇室が社会の現象とか、国の在り方について目立った活動をなさったり、

お言葉を発したり、決定的な動きをするというのは

私はね100年に1回とか、何十年に1回のことなんですよね。

そのような節目節目で国家の、国民の統合力になってくださるという御皇室に対して

私たちはもっと日常からもっとそのありがたいという気持で知っとかなきゃいけないというふうに思います。

 

そしてもう一つ、これ安倍さんも今、仰ったことなんですけれども
天皇陛下が自衛隊、それから警察、消防ということを仰った。
しかも自衛隊が一番先にきてるんですよこの順番の中でね。

 

今まで自衛隊とは本当に意図的に誰の意図か、官僚の意図か分かりませんけれども
距離を置かれているんですが、今回おっしゃったということは
お心の中で自衛隊はとても大事なんだと
国家というものにとって国民を守る自衛隊というのは大事なんだと
国家というのはこういうもんなんですよということを

やっぱりお言葉の外でですね示してくださっているんじゃないかと私は思いました。」

 

勝谷氏
「しかも今のように、今ほどマスコミが自衛隊の大活躍を伝える前に
これはもう自衛隊の幹部に聞いたんですけど
まさに自衛隊員は奮い立ったと。
逆に言うと、そのあとの大活躍のそこにはやっぱりあのお言葉があるのかなと思いますね。」

 

宮崎氏
「勝谷さん、先の大戦に敗北した時に日本はもう立ち直れないと世界中が思ったんだ。
でもそこらか復興できたというのは天皇、昭和天皇のお言葉やご巡幸があったからだと思ってる。

今回も恐らく世界の厳しい目で日本は相当打撃を受けている
立ち直るには相当の時間がかかると。
そういう陛下の、今上陛下のお言葉に報いるためにも

私は日本人は早期に見事に立ち直ってみせないと駄目だと思う。」

 

所氏
「私はあの、今の両陛下がまさに今回の3月11日の大震災にあたって最も早く、

最も的確に行動されたということを知り驚きました。

 

その原点は何かというと、お二人とも・・陛下が昭和8年、皇后様が昭和9年のお生まれで
昭和20年の8月15日に日光へ疎開しておられた皇太子さま書かれた作文があります。

 

どういうことが書いてあるかというと
今度の大戦で陸海の軍人もよく戦った。
それから国民も一生懸命戦った。
でも敗れた。

 

そこでこの国を本当にこれからどん底から立て直していくのは自分の責任だと。
自分がしっかりその困難に耐えていかねばならんと書いておられるんですよ。
当時まだ11歳ですよ、そういうお気持ちがもうお小さい頃からあられたということ。

 

それから皇后様はお一つ下ですかれども戦時中に差し入れを受けられた・・

あの・・物語を読まれて、そこの中に
日本武尊(ヤマトタケノミコト)と、弟橘比売(おとたちばなひめ)の物語に出てくる

ご承知の通りあの東国へ遠征された時に・・に入水されて
それであの・・夫たる日本武尊のために役立てよとされた。

 

そのとこを子供時代の読書の思い出というお話の中に引かれてですね
愛と犠牲というものが2つのものではなくて不可分の一体のものだということを知って

非常な感銘を覚えたということを述べておられます。

 

そういう御自身のお小さい頃からの御体験とかそういう御覚悟というものがあって、

実は3月11日にどんなことがあったかといいますと
その日の2時頃に皇居の勤労奉仕に行った人々がちょっとご会釈をたまわると言い方をしますけれども
天皇皇后両陛下がご苦労さまでしたということで、お言葉があったんですね。

 

直ちにみんながそこであの感激してお別れをされたところに震災があったと。
びっくりされて、これではさっきあってきた勤労奉仕の人がどうしているかということをいわれて
直ちに侍従か何かが行きましたら、とりあえず大丈夫だということになったんですが

 

もうしばらくしたら東京都内が全然交通麻痺してる、これじゃあ遠くから来てる人は帰れないということで
両陛下がそれじゃあなんとかその人々をこの皇居に泊めることができないかと言うことをいわれて
直ちに検討して結局、窓明館(そうめいかん)という休憩所があるんですが、

そこで数十名の方が泊めて頂いたんですね。

 

それだけでも異例のことなんですけどもその翌日、また心配をなさりまして、

7時半ころに皇后陛下がその休んでいる所に来られて
それでお見舞いをくださったというようなことがありました。

 

こういうようなことは異例中の異例なんですけども、そのあとさっきも出ておりますように
自分で自主停電をされるとか、いろいな事がありますけど大事なことは
自分でできることを直ちにやっておられるということですね。
そして困難は自ら引き受けるという

 

そういうお姿というものはやはりお父様である昭和天皇なり、

お母様、香淳皇后(こうじゅんこうごう)様から受け継がれた歴代のそういう御精神の影響もあり
御自身のその体験にもありますけれどもそういうものを私、見ましてですね

 

本当に我々今回、関西辺りは直接被災はありませんでしたけれども

あの時に自分にできることをすぐ何かやったのかと言いますとそれほどできてない。
しかし陛下は自分でできることを直ちになさり皇后さまは直ちに助けてなそうとするということを

やはりお手本として我々も少しでも自分にできることを、しかも短期間でなくて、

5年、10年かけて一緒にやっていこうという気持を持ちたいものだとつくづく思っております。」

 

 

たかじん氏
「ありがたい高話ありがとうございます。聞かれてどうですか?」

 

桂ざこば氏
あの・・僕はぶっちゃけた話が日の丸の国旗を持ってません。

せやから・・・買うて5月5日子供の鯉のぼりの横っちょに挿して・・(号泣で声にならず)・」

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この記事は銀色の侍魂を参照させて頂いております。

銀色の侍魂の元記事は、更にいい記事です。

 

 

 

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