大東亜共栄圏 其の一 (黒) (0102PA013A-BK-B)
大東亜戦争【不屈の武士道精神】
後世の人達が、太平洋戦争とは何であったか、大東亜戦争とは何故に起こったかとの疑問に、
大多数の学者や有識者が次の様に回答している。
「 人種問題闘争と人種差別戦争 」 だと。
参照:No.4 世界大戦が齎したもの / The thing which the World War brought
連合軍最高司令官マッカーサー元帥は、米国上院の委員会で、次のように証言している。
「 日本は好んで戦った訳ではない。この戦争は侵略ではなく、寧ろ自衛の為だった 」
参照:No.5 燻る戦争の火種 / Source of the war to smoke
当時、世界は白人たちによる白人至上主義、有色人種差別が蔓延していた。
欧米諸国によるアジア侵略と植民地化という時代が続き、
有色人種(アジア諸国)は白人により搾取され、奴隷として支配されていた。
この支配が未来永劫続くかもしれない世界背景の中、
世界最強と謳われた「超大国」ロシアを破り「白人優位、白人不敗」の神話を崩壊せしめ
有色人種国家で唯一「列強国」となったアジアの小さな国があった。
その小さな国は、人種差別撤廃・人種平等を世界に訴え続けた。
1919年、国際連盟に人種差別撤廃条項を盛り込むよう提出。
欧米列強によって分割・植民地支配されていたアジア・アフリカ地域の民衆も、
その提案を支持した。
閣議では11対5と賛成多数となったが、呆気なく否決された。
議長国のアメリカがこれを採用しなかったのある。
1933年、常任理事国だったその国は国際連盟を脱退。
国内世論は拍手喝采で迎えた。
その国とは、日出ずる国
日本は、大東亜共栄圏のスローガンの元、欧米の苛烈な植民地支配からアジアを解放していった。
これは有色人種の白色人種に対する壮絶な巻き返しであり、
当時その力と気迫を持っていたのは世界中で日本だけだった。
その結果、欧米と衝突。
アジア諸国に対する日本の勢力拡大を警戒したイギリスやオランダ、アメリカのなどの周辺諸国は、
日本への資源輸出を制限した”ABCD包囲網”により、石油等の輸出を完全に停止した。
大半の資源を外国から輸入していた日本にとって、この経済封鎖は・・・死を意味した。
それでも、日本は戦争回避の交渉を求め続け、和平を切望した。
しかし、米国から提出されたのはタイムリミットなき最後通牒
「ハル・ノート」だった。
その内容は到底受容できるものではなかった。
「奴隷か戦争か」
アジア地域を植民地化し、搾取した侵略者は欧米諸国であり、当時の日本もその毒牙に掛かった。
白人至上主義が続く限り、この戦いは避けることのできない運命だった・・・
平和を取り返すため、そして人間の尊厳を守るため、
有色人種としてアジアで唯一、欧米列強に立ち向かう決意に至る。
対米開戦やむなし!
米国の戦力は約30倍。
米国だけでなく世界7カ国(米英仏蘭中ソ豪)を相手の大戦争に、どう見ても勝ち目は無かった。
しかし、抵抗なき敗北では、アジア諸国のように、隷属になるだけ。
日本人は隷属を選ぶ民族ではなかった。
未来の子孫達が虐げられることなく、日本が独立国家である為には
民族の不屈精神を誇示し、敵に恐怖観念を植え付ける必要があった。
圧倒的物量差・戦力差への「特攻」「玉砕」
日本民族の「一億総特攻」
「武士道精神」 世界に知らしめんとす
戦わざれば亡国、
戦うもまた亡国であれば、
戦わずしての亡国は身も心も
民族永遠の亡国である。
戦って死中に活を見出し
護国の精神に徹するならば
たとい戦いに勝たずとも、
護国に徹した
日本精神さえ残せば、
我らの子孫は必ずや
再起、三起するであろう。
永野 修身 元帥海軍大将
大東亜戦争は、欧米列強による世界支配を日本が阻止した戦いであり、
全世界の有色人種の未来を担った戦いだったのである。
こうして日本は三年半にも及ぶ大戦争に突入していく。
一玉砕兵の真情をを吐露した哀切な詩がある。
もし玉砕して、そのことによって
祖国の人たちが少しでも
生を楽しむことができればと
せつに祈るのみである
遠い祖国の若き男よ
強くたくましく、朗らかであれ
なつかしい遠い祖国の
若き乙女たちよ
清く美しく、健康であれ
この絶唱から何を読みとるか。
貴方の魂が試されるときでもある。
著/北影 雄幸「日本人の勇気」
昭和16年12月8日
日本はハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まった。
かつて日本の零戦の性能・パイロットの技量は世界一といわれ、
敵機は零戦1機に対し2~3機で対応していたほどだった。
開戦直後は連戦連勝、破竹の進撃を続けたが、昭和17年のミッドウェー海戦で大敗し戦局は逆転。
もはや、通常航空攻撃では戦果を期待できぬと判断した大西瀧治朗中将は、
起死回生の非常手段として、爆装した零戦を搭乗員ごと敵艦に突入させるという
世界戦史に例をみない戦法を発案した。
昭和19年10月25日 神風特別攻撃隊「敷島隊」出撃
特攻隊員は全国から集められた精鋭搭乗員で、卓越した運動神経と高学歴のエリート達だった。
戦争末期には、機体不足により旧式の機体で出撃していたため、
敵艦に辿り着くまでにほとんどの機は撃墜されました。
特攻は終戦の日まで続き、特攻作戦での戦死者は5845名、みな前途有望な若者達だった。
昭和18年12月 「学徒出陣」
約10万人の学徒達がペンを捨て銃剣をとり、戦地に赴いた。
敗色濃い前線で彼等が投入されたのは、あらゆる種類の「特攻」作戦だった。
秋雨の明治神宮外苑の陸上競技場で65000人の女子学生や後輩が見送った。
昭和20年4月1日 「米軍沖縄上陸」
日本国内で最大規模の陸戦となった。
米軍による陸海空からの猛砲爆撃は、地形が変わるほど激烈をきわめた。
「鉄の暴風」「鉄の雨」とよばれ、その悲惨さは「あらゆる地獄を一か所に集めた」
と表現されるほどだった。
多くの住民が巻き込まれ、民間人も含め15万人の尊い命が失われた。
昭和20年8月 広島・長崎「原爆投下」
人類史上初の、都市部を対象にした核攻撃だった。
原子爆弾により、35万人以上の国民が犠牲になった。(原爆死没者名簿)
非戦闘員(一般市民)を殺害することは重大な「国際法違反」であり
原爆投下はあきらかな「大虐殺」である。
いかなる正当化も、許してはいけない。
今の日本の繁栄は、先人達の犠牲の上に成り立っている。
私達が生きている今は、先人達が命懸けで守ろうとした「未来」なのだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
そのうえで、靖国に参拝するべきではない。という意見をお持ちの方や、英霊に感謝する気持ちを持たない方は、
もはや日本人とは言えないでしょう。
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